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「人言を 繁み言痛み おのが世に いまだ渡らぬ 朝川渡る」
今回の拍手お礼文に使わせてもらった歌です。
訳はお礼ページに書いてある通りなのですが、
この中で但馬皇女が会いに行こうとしている人っていうのが穂積皇子。
2人とも時の帝である天武天皇の子供で異母兄妹です。
この時、既に但馬皇女は同じく異母兄妹である高市皇子(かなり年上)に
嫁いでいたという説が有力。
(奈良とか平安あたりは近親婚がデフォでしたからね;)
つまり3人とも異母兄弟なんですが、
但馬皇女は嫁ぐ前から穂積皇子とイイ感じだったようです。
でも「○○と結婚しなさい」と言われたらするしかないわけで。
ここで諦めるのが普通なのでしょうがこの但馬皇女、
すごく芯の強い女性だったようで、気持ちを貫くことを選びました。
いわゆる禁断の恋(きゃ///)。
そしてこういうネタは噂になるのがお約束  ̄▽ ̄;
持統天皇にも知られ、それが理由なのかは判りませんが、
穂積皇子は一時左遷されてます(近江)。
でも障害が多いほど熱くなるのも、これまたお約束w
穂積皇子への相聞歌が他にもいくつかあって、意志の強さを感じます。
女の方はこんなに一直線なのに、肝心の男はというと。
勝手な主観ですが、優柔不断というか煮え切らないというか・・・
いっそ駆け落ちでもするぐらいの根性があれば良かったのに(ムリ;)。
結局2人がくっつく事はなく、但馬皇女が亡くなった後に穂積皇子がお墓を
遠くに見ながら詠んだ挽歌がこれ。
「降る雪は あはにな降りそ 吉隠の 猪養の岡の 寒からまくに」
吉隠(よなばり)の猪養の岡っていうのは、彼女のお墓があるところ。
簡単に意訳すると、
「雪よ、そんなに沢山降らないでくれ。
猪養の岡にいるあの人が寒くなってしまうから・・・」
ちょっと、じーんときてしまいました。
歴史書にはっきり書かれている事ではないので断定はできないのですが、
大きな食い違いはないかと思います。
彼女の意志の強さがりんちゃんとダブって、冒頭の独白が浮かびました。
そういうわけで今回の歌についてはちょっと補足したいな、と。 f(^_^;)
この時代にはもっと有名な話がありますよね。
額田王・大海人皇子・中大兄皇子の三角関係(鏡王女も入れれば四角)。
中大兄皇子が横恋慕して奪っちゃった、「茜さす~」のアレ。
この大海人皇子が後の天武天皇、つまり↑の3人の父君だったりします。
しかし、姪と結婚してたり異母兄弟姉妹が9人もいたり、
更にその中で従兄弟だったりと、ここらへんの系図はややこしすぎる;;
どんだけ血が濃いんだ。。。
**3日に拍手を下さった方々、ありがとうございましたー!!
梅雨に入ってまた寒くなりました;夜はコタツが恋しいですー_ー;**